井部 健太郎 | 久万造林株式会社
Photo: Shota Kono
Text: Takashi Kato
松山市から高知方面に向かっていくつもの山を越えて約30km車を走らせる。山間にある上浮穴郡久万高原町菅生、この場所で150年に渡り林業を営んでいるのが久万造林である。その歴史は四国八十八箇所の第44番札所菅生山大宝寺の執事として久万に来た僧侶であった創業者井部栄範が、寺が所有していた山に杉の苗を植えたことに始まる。明治6年(1873年)のことである。久万造林5代目でDOCUの代表を務める林業家の井部健太郎氏に、この地の林業の成り立ちといま、
ーまずは久万造林の歴史から教えてください
明治6年(1873年)に初代井部栄範がこの地に植林をしたのが始まりです。大正3年(1914年)に株式会社久万造林として設立し、私で5代目になります。当時から変わっていないのは、自社有林に杉、檜を植林、伐採し、木材を販売していることです。
ー現在320hの山をお持ちだそうですね
栄範の時代から山や農地を買ったり売ったりしてきましたが、現在320hになります。久万高原町の中に20〜30hほどの大きさで点在しています。
ー久万の山は良質な木材の産地として全国的に知られています。この地で本格的な林業が始まったのはいつのことになりますか?
久万で造林業が本格的に始まったのは久万造林初代の栄範が最初です。僧侶としてこの地に来た栄範が、四国八十八箇所の第44札所菅生山大宝寺に杉の苗を植えたことに始まります。久万の林業の始まりはそこからなので、弊社の始まりと一緒ですね。記録を見ると栄範は杉の苗を植えた人ではあるのですが、生涯にわたって木材では利益は得ていません。
ー杉で材木として使えるまで最低30年〜50年ほどかかるからですね。
そうです。僧侶としてこの地に来た栄範はこの地域のためにと色々なことを始めた人でした。最も手を尽くしたのが松山からの産業道路を引くことでした。
ー産業道路を引くことですか?松山市内から久万まではいくつもの山を越えてきましたが、そこに道を引くきっかけをつくったのがご先祖様だったとは
そうです。当時から愛媛では松山が最も栄えていました。久万から松山への産業道路は未開通で、栄範がやろうとしたのもそこでした。植林をしたきっかけは建築用材向けの良質な杉、檜をここで育てることでした。久万は豊かな森を持っていました。その地の力を活かし、良質な建材の産地になれば、松山の人たちが道を造ってくれるだろうという思いもあったそうです。
ー壮大な構想があったのですね。
それが久万に木を植える目的の一つとして栄範の頭の中にはあったんですね。
ー実際そうなっていったのですか?
はい。栄範は林業を始めることを決めてから、奈良の吉野などから杉や檜の苗を買いつけてきたそうです。そうして地元で林業を志す人たちに山を含め土地を貸し、苗を与えて植林を推奨したそうです。林業以外にも農地を買って、それを貸し出す農業も推奨しました。当時は銀行もなかった時代ですから、お金の貸し出しもしていました。この町の繁栄のためになんでもやった。先祖ながらもすごい人だなあと思います。
ー久万造林が所有する山の面積が320h、うち90%が杉、檜の人工林で、杉6割、檜が4割だそうですが、久万の山の木材の良いところを教えてください。
一つには全国的にも素直な木が育つ土地柄だということです。
ー素直な木とは?
要するに木が真っ直ぐに育っていることです。杉は全国的に育ち方に違いが多くある木材と言われています。その中でも目が詰まっていて強度があって、真っ直ぐで、木材としてどんな加工もしやすいところは久万の利点になります。それが久万の杉、檜の特徴になります。
ー全国的に見ても良質な木材がとれる土地なのですね。
はい。なかでも栄範の時代に植林をした樹齢100年クラスの木材は、極めて丁寧に山の手入れして育てたもので、杉檜の名産地である吉野の市場を通せる高級材でした。
現在、林業において久万の山は第二世代に入っていて、栄範の時代と比べるとそこまで丁寧に手入れができていないのが現状です。ですが杉に関しては先ほどお話をした、久万の杉の特徴を持っているので今でも全国的にも高い評価をいただいています。
それと建材として使われる木材は「エンジニアリングウッド」といわれる、集成材が圧倒的なシェアをもちます。久万の杉材はその集成材としても使いやすい木材として評価も高いです。
ー木の質が良いから加工もしやすく、粘りも強い。
そうです。強度があるから集成材にも重宝されています。
ー久万の山で良い木材がとれるのは手入れがゆき届いているのはもちろん、土地の良さも関係していますか?
気候、土壌も含めて、杉に関しては育てるのに適した土壌だと思います。
課題ももちろんあります。戦後の建設ラッシュや高度経済成長時代の頃から比べると建築用材のニーズが大幅に縮小してきていることもその一つです。その一番の理由は人口が縮小していること、それと住まいに関する価値観の変化です。マイホームを新築一戸建てでという時代でもなくなり、毎年新築一戸建ての件数も減少しているのは皆さんご存知だと思います。ですので比例して木材の需要も減少しているという現状があります。
ーそんな産業用木材をめぐる時代における変化もそうですが、他の産業と同様に林業の担い手も高齢化が進み、新たな従事者も減りつつあると聞きます。現代では「スマート林業」など、ITを活用した新しい林業のあり方も模索されていますね。
国が進める「スマート林業」と同じかどうかはわかりませんが、私自身は5年ほど前からGISや最新の森林管理ソフトを導入するなどして、山の管理はデジタル中心に一人でおこなっています。
ー320hをお一人でですか?
はい。山や木の管理はほぼ私一人で行なっています。というのも私の仕事は、一年の伐採計画を立て、伐採業者さんに発注をして切ってもらうといった自社有林の不動産管理です。昔は私も山に入って木を刈ったりしていました。久万造林としてもかつては職人さんを雇い山の管理、木の伐採などを行っていましたが、現在は伐採専門でやっている業者さんにお願いしています。
ーそうでしたか。下草を刈ったり伐採をしたり、山や森を健全に保つために必要なことはどのようなことですか?
杉、檜の場合は、植林をしたら下草を丁寧に刈るなど除伐をしないと苗が負けて大きく育ちません。それと育ちが悪い苗は間引いたり、ある程度育ったら枝打ちをするなど一本一本の木手入れも必要です。機器がハイテク化してもそのやり方自体は昔も今も変わりません。これは林業に携わる誰もが持っていないといけない感覚ではあるのですが、人間と木の時間軸とでは全く異なります。
木の時間軸は最低でも50年から100年ですが、人間が稼働しているのはせいぜい50年ほどですよね。だから人間の時間軸ではなく、木の時間軸に合わせる必要がある産業なんです。それをこちらの都合で、人間の時間軸に合わせようとする傾向があるのが現代の林業です。それは自分でも気をつけなければいけないと思っていることです。一つの例ですが、刈るだけ刈って木材はお金に変えて山は植林せずにそのまま、という山や森は現在日本全国にたくさんあるというのが現実です。
ー売れるものは販売し、木材としては低品質な未成熟な木も、切り細かく粉砕し複合ボードや燃料の原料にしたり有効活用されていると聞いたことがあります。育てる側も長い時間軸で森や木のことを考え、つねに未来の山のあり方を数十年先まで考えながら林業を行なっていく必要があるということですね。
いつも自問自答しているのは、なぜ今の時代に林業をしているのかということです。もちろん自分たちが生きていく、食べていくためでもあるのですが、100年、200年、その先まで健全な山にしていくためにやっているわけです。
古今東西の例を見ても、山に木がなくなるとその土地は終わってしまうんです。林業にはそれほど重要な役割があるのです。そのことをつねに忘れないように仕事をしています。
ー健全な林業をしていくことに加えて、未来の山を考えたとき現在井部さんが実践されているのが「森の再生」だそうですね。
2014年に仲間とともに「黄金の森プロジェクト」を立ち上げました。自然環境を整えながら、人と自然が共存できる新しい林業を標榜しています。
それが久万造林のこれからの中心的な事業になっています。
ー久万の山のより良い未来を考えた取り組みですね。
そうです。「黄金の森プロジェクト」には二つの柱があります。
その一つが、杉、檜だけに頼らない森づくりです。クヌギ、ナラなど、できるだけ多種多様な樹種を植えることもそうですし、久万の土地に合った、もともと自然植生していた樹種に切り替えて、人の手を加えなくても自然に育つ山をつくること。もう一つが、林業だけでなくいろんなジャンルの人が関わり、この先の未来も続く山を作ることができるのかをみんなで考えます。今はそのための環境づくりを行なっている最中です。
ー異分野の人たちと、山というフィールドでコラボレーションをしていくのですね。
はい。自然植生に頼るだけだと、理想とする山を作るのに500年はかかってしまいます(笑)。自分たちも今、山を楽しみながら、その先の未来に続く健全な森を育てていくにはどうすればいいのか。そのためにもいろんな目線やアイデアが必要なんです。
ーしいてはそれが森の木々を切って売るだけではなく、この場所に新しい産業を生み出していくことにつながるということですね。
そうです。久万造林の場合は、あくまで山とそこにある自然を主役としながらも、コラボレーションをしている造成、造園業の専門家が主役となりながら、林業としての新しいあり方を模索し実践を始めています。
いろんなジャンルの専門家と山に入ると面白いんですよ。私は杉・檜しか見ませんが、造園家はそれ以外を見ているということもわかりました。彼らの目には「こんなものも生えている!」と面白がってくれます。同じ山を見ているのに少し違う視点が面白いし、それがこれからの山のためにもきっとなるはずだと確信しています。
ー刈るだけの山だったものが、見たり、体験する山にもなり得ることがわかるのですね。
見る人によって山の捉え方はそれぞれだということがわかっただけでも、私たちには大きな収穫でした。私自身の考え方も変わるし違った視点で山を見るようになる。それがこれからの林業のヒントになると思っています。
ーそんなフィードバックがあってこその多様な植生のある森づくりなのですね。
杉檜の割合を全体で50%にするという目標を掲げながらも、その割合は場所によって柔軟に変えていく必要があると考えています。
ー新しい林業のあり方を目指す理由は林業をめぐる状況の時代の変化を引き受けつつも、森との多様な関わり方を積極的に模索するということですね。
私が思うには今後9割を建材向けでやっていくことは間違いなくリスクが高い。山や森という環境をどう維持していくかを考えながらやっていると、100年前の森に戻そうという人もそうですが、いろんな人に出会うようになります。私たちのスタンスは、未来における多様な樹種が生えている自然環境を人が手伝いながらつくっていくことです。
ー久万の山の森の木をつかった新しい取り組みの一つとしてDOCUが始まりました。そこに込めた思いと期待を教えてください。
まず現在、デザイナー、フォトグラファー、ライターなど、その道におけるレベルの高い人に関わってもらっています。50年、100年先を考えた時に、この森に多種多様な樹種が育っていってそれを活用するのは、英範が植えた木を次の世代が収穫したように、私の次の代の人たちが引き継ぐことです。そのために私が今何をするかといえば、この山の資源である杉・檜をいかに活用していくのかということ。「黄金の森プロジェクト」もそうですし、このDOCUもそのための取り組みです。久万の山の大切な資源を建材とは異なるあり方で付加価値をつけていきたい。その新しい手段の一つが「デザイン」であり、DOCUだと思っています。
杉・檜は淡白な材なので、これまでの考え方では家具やプロダクトには積極的には使われてきませんでした。でも、その素材に洗練されたデザインが掛け合わさる事で、価値のあるものが生み出せるのなら積極的にやる意味があると考えています。
ー久万の山で50年ほどの時間をかけて育った木がこの地で製材されて、デザインに出会い、同じ松山にある木工所でつくり手の思いとともに新たな価値を持った製品として、ユーザーの元に届けられる。大切なのは使う人も含めて、未来に向けて木と共にいかに共生するのかということですね。
そうです。DOCUの家具やプロダクトをきっかけに、山や森に興味をもった人を一人でも多く増やしていきたい。 DOCUのプロジェクトではものづくりとともに、ライター、フォトグラファーと一緒にこの森についてドキュメントすることにも取り組んでいます。
森づくり、ものづくり、誰が作っているのか、その過程が見えてくることで、建材としての杉・檜の価値も必ず見直されてくるはずです。そのために大切になってくるのが教育だと個人的には思っています。長年木に携わってきて思うのは、木が持つ懐の深さです。山では人間が中心になるのは間違い。山、森、人、そしてそこに関わる人々の思いを繋いでくれているのが「木」なんだと思います。
井部 健太郎
久万造林株式会社 代表取締役
創業明治6年(1873)株式会社設立大正3年(1914)会社所有林約320haを間伐などの伐採をしながら、山林管理をしている林業会社。
2014年から、「黄金の森プロジェクト」を立ち上げ、杉・桧の人工林だけではなく、様々な樹種を植林し、様々な人が関わった、多様性のある、100年200年と続く森林づくりを目指している。